袴田巖

夢の間の世の中

さて、私も冤罪ながら死刑囚
全身にしみわたって来る悲しみにたえつつ生きなければならない
そして死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が
私心をたとえようもなく冷たくする時がある
そして全身が木枯らしにおそわれたように身をふるわせるのである
自分の五感さえ信じられないほどの恐ろしい瞬間があるのだ

しかし、私は勝つのだ
袴田巌

2014年3月27日「袴田事件再審決定!」は、

この日のトップニュースで伝えられた。

「重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いがある」

「これ以上拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」

即日釈放された袴田巖さんの姿に、私は見入っていた。

48年の拘禁生活から解き放たれた袴田巖さん、しかしその表情に喜びは見えない、いや、表情がないといった方がいい。突然の釈放に戸惑っているのか、それとも拘禁症による精神へのダメージによるものなのか・・・。

肉体は解放されても、精神は縛られ、感情は固く閉ざされたままのように思えた・・・。

 その後私は、東京後楽園ホール、リング上で世界“名誉”チャンピオンのベルトをまき、ファイティングポーズをとる袴田巖さんにカメラを向けていた。その時の巖さんの眼光は、ボクサーだったころの鋭さをとりもどしているようにみえた。巖さんの横には、彼を信じ、支えて生きてきた、姉の秀子さんの満面の笑みがあった。

私は、それからも毎週のように巖さんと秀子さんのお宅におじゃまし、カメラを回し続けた。

「袴田事件は終わった、冤罪もない、死刑制度も廃止した・・・」そう語る巖さん。

ある時は警視庁総監になり、ある時は裁判長になり、ある時は松尾芭蕉になる・・・。

 拘禁による妄想は今も尚つづいている。

一方で巖さんの気持ちが解きほぐされていると感じる時がある。

ある時から将棋三昧の日々が続いた。私も、何度となく挑戦したが、73戦全敗。

そのたびに、勝ち誇ったかのようにニヤッと笑顔をみせる。親戚の赤ちゃんを抱いて、好々爺の表情。大好きなボクシングの話題になれば、半世紀前の記憶がよみがえり、試合の論評もする。

巖さんの「妄想の世界」を、日常という「現実の世界」がゆっくりと包み込んでいく。 

布団で寝る、買い物に行く、好物のあんぱんを食べる、ゆっくりお風呂に入る、

テレビを見る、将棋を指す、うたた寝をする、怒る、笑う・・・。

平凡であたり前のことが、本当は誰にとっても特別なことなのかもしれない。

 映画は、袴田巖さんの48年ぶりの暮らしに寄り添い、

 生きることの尊さを静かに語りかけていく。

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