獄友

“冤罪青春グラフィティ”

獄友

やっていないのに、殺人犯。
人生のほとんどを獄中で過ごした男たち。
彼らは言う「“不運”だったけど、“不幸”ではない」。

「また冤罪映画!?」と思う人もいるだろう。
しかしどうしても描かなければならないものがある。

彼らは人生のほとんどを獄中で過ごした。いわれの無い罪を着させられ、嘘の自白を強要され、獄中で親の死を知らされた。奪われた尊い時間は決して取 り戻すことができない。しかし、絶望の縁にいたはずの彼らは声を揃えて言うのだ。

「“不運”だったけど、“不幸”ではない、我が人生に悔いなし」と。

冤罪など、許されるはずがない。しかし、彼らにとって“獄中”は生活の場であり、学びの場であり、仕事場であった。まさに青春を過ごした場所なのだ。「冤罪被害」という 理不尽きわまりない仕打ちを受けながら、5 人は無実の罪が証明されることを信じ懸命に生きたのだ。時に涙し、怒り、絶望し、狂い、そして笑いながら…。

冤罪被害者の横のつながりはほとんどなかったが、「足利事件」の菅家さんの釈放を きっかけに、彼らは同じ痛みを抱えるものとして、お互いを支え合うようになった。はじめて彼らの話を聞いた時、どんなに重い話をされるだろうかと緊張し身構えていたが、会った瞬間、笑いをこらえることができなかった。自分たちのことを「獄友(ごくとも)」と 呼び、獄中での野球や毎日の食事や仕事のことを懐かしそうに語り、笑い飛ばす。そ こには同じ「冤罪被害者」という立場だからこそわかり合える特別な時間があった。そし てなぜ自白したのか、獄中で何があったのか、娑婆に出てからのそれぞれの人生を自ら語ってくれた。

奪われた時間の中で、彼らは何を失い、何を得たのかを描き出す。そこからあ ぶり出されるものは、司法の闇であり、人間の尊厳であり、命の重さだ。

今“獄友”たちは、“青春”のまっただ中にいる。

監督 金聖雄
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