SAYAMA

「みえない手錠をはずすまで」
殺人犯とされて51年—
泣き 笑い 怒り 日々を”凛”と生き抜くふたりの物語
2014年毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞受賞

50年 殺人犯というレッテルを背負いながら
泣き笑い怒り、日々を凛と生き抜く夫婦の物語!

「どうして狭山事件を映画にしたんですか!?」なんてことを良く聞かれることがあります。
映画が完成してあらためて「どうしてやろ?」と自問自答してみました。しかし竹を割ったようなすぱっとした答えが見つかりません。まあだいたいこれまでもそうなのですが私の場合、日頃気になっていることがいろんな出会いの中で積み重なって、気がついたら映画がはじまっていた、と言うのが正直なところです。

“狭山事件”、”冤罪被害”、”被差別部落”…。今考えるとよく映画にしたもんだなと我ながら感心します。そもそも私には難しい”問題”をひも解くような映画づくりができそうにありませんでした。私が拠り所にしたのは、とてもあやふやで、分かり難いもの。例えばそれは遠い昔に感じた事のある感覚やその時の臭い、空気感のような、抽象的なもの。
「なんかいい顔してるな…」「なんか切ないな…」
「なんかよくわからんけど、ええな〜」…。 

困った事になかなか言葉で表しにくいものなのです。しかし言葉にできないからこそ、より映像的とも言えるでしょう。

石川一雄さんはどこからどうきりとっても”無実”としか思えません。しかし今も”殺人犯”という罪は晴れていないのが”現実”です。「冤罪」など決してあってはならない、しかしそんな中にあっても一歩ずつ自分の人生を生きぬいてきたのです。そのあきらめない姿は、凛として美しく、時として人々に感動を与えます。

しかし石川一雄さんの日々の暮らしは今もなお苦難の連続です。「じゃあ石川さんは不幸なのか!?」いいえ、私にはむしろ幸せそうに感じられます。「冤罪」という強いられた人生をまっすぐに歩む石川さんの生き方は「幸せとは」「愛とは」「友情とは」そして「正義とは」…。いろんなことを私たちに問いかけているような気がします。

映画はそんな石川さんと妻、早智子さんに3年間寄り添いました。
74歳の石川一雄さんには夢があります。「無実を証明して中学校に行きたい!」
私たちにできることは、映画「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」をひとり一人に届けること。今はそんな思いでいっぱいです。

暗闇の中で大きなスクリーンからはね返る光りが観る人の目に届いたとき、それぞれの思いが映画と重なり合いもうひとつの物語がつむがれます。そのとき映画はもうひとつの大きな力を持つように思います。それはきっと石川さんの「無罪」につながるそう信じています。

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